オーストラリアのプロフィール
オーストラリアまたはオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)はイギリス連邦の一国であり、古い大陸に築かれたまだ生誕200年ほどの若い国です。1778年、英国の流刑植民地としてオーストラリアへの移民が始まった当時、オーストラリアには英国からの移民者およそ1000人と推定30万人の原住民が住んでいました。その後、結局6つの英国植民地ができ、1901年に連邦が結成され英国から独立しました。現在のオーストラリアは人口約2000万人の西欧型民主主義独立国家です。その経済は、大規模な資源開発、生産性の高い農業、幅広い製造業と先端技術開拓の基盤をもつ、多角的なものです。
国土
オーストラリアは、ロシア、カナダ、中国、米国、ブラジルに次ぐ、世界で6番目の大きな国で、ひとつ大陸全体を国土に持つ唯一の国です。英国とアイルランドを合わせたより約25倍、日本より約20倍以上も大きな国です。地勢は諸大陸の中でも最も平坦です。また降雨量も南極に次いで少ない大陸です。オーストラリアは海岸線沿いをのぞく広大な面積ほとんど居住に不適な荒地や砂漠状の土地です。そのため、オーストラリアの人口は国土の大きさに比べて少ないのです。すべての都市は海に面する場所にあります。
気候は、北部の熱帯性から南部の温帯性まで多様で、夏は12月から2月、秋は3月から5月、冬は6月から8月、春は9月から11月です。
歴史

4万年間前に現在の東南アジア方面からオーストラリアの先住民であるアボリジニの先祖が移住したと考えられています。
1770年、科学探検を終えタヒチから英国への帰途、英国海軍のジェームス・クック大佐はボタニー湾に上陸して領有を宣言、入植が始まりました。彼はここで標本となる様々な植物を見つけ、ボタニー(植物)湾と名づけました。大佐はケープ・ヨークまで東海岸の大部分を地図に収めて、北へ航海を続けました。
1787年5月13日、後にニュー・サウス・ウェールズ植民地の総督になったアーサー・フィリップ大佐率いる11隻の船団が英国を出港しました。8ヵ月後の1788年1月18日、736人の囚人を含む、1530人がボタニー湾に到着しました。土壌が痩せ、湾が大洋に開き過ぎていたので、船団は8日後に数キロ北のポート・ジャクソンに入植地を築きました。この小さな囚人入植地が、オーストラリア最大の都市シドニーに発展したのです。
長年にわたり、険しいブルー・マウンテンズがシドニー入植者の西進を阻みました。しかし1813年、山越えルートの発見で、内陸探査の道が開けました。1803年には、タスマニアのホバートに入植地が築かれていました。1828年には全土がイギリス植民地となり、開拓が進みました。内陸を探索し、農牧地を開拓する段階で、先住民から土地を取り上げ、反抗者は殺害されました。
そのほか、1824年クイーンズランドのブリスベン河畔、1829年西オーストラリアのスワン河畔、1835年ビクトリアのポート・フィリップ湾、1836年南オーストラリアのセント・ビンセント湾に入植地が築かれました。これらの入植地は現在5州それぞれの州都になっていますが、更に奥地への探査の基地になったのです。
1901年にイギリスから事実上の独立をしますが、独立後もイギリス王女への忠誠からイギリス の戦争には度々参加しています。戦後、ヨーロッパ等からの白人移民は減り続け、国力といわれる人口増加は鈍った。そこで1960年代から白豪主義を転換し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行した。現在では多様な文化が見られる国となっている。
人口
2007年現在、オーストラリアの人口は、1945年の2倍を超える、約2000万人と推定されています。第2次世界大戦後、人口の伸び率は年平均およそ1~2%で、そのうち約40%は移民の純増、残りが自然増でした。伸び率、特に1970年代初期には、自然増も移民の純増も、率は非常に落ち込みました。オーストラリアは全人口の約70%が10大都市に住み、世界で最も人口の都市集中度が高い国のひとつです。メルボルンがあるビクトリア州の人口は約500万人です。
国民生活
オーストラリアの生活様式は、国民の大多数の出身地である西欧を反映しています。労働人口の大半は、賃金・給与所得者です。週間労働時間は35~40時間です。労働者は年次有給(通常4週間)、疾病、永年勤続の休暇が取れます。またクリスマス、新年、オーストラリア・デー、復活祭など、有給の祝祭休日が年間約10日あります。定年は通常60または65歳です。オーストラリアには女性の完全な平等を妨げる法的な障害はほとんどありません。
統計上“平均的”なオーストラリア男性の寿命は76歳で、女性を5.5歳下回っています。平均的な夫婦は2.1人の子供を持ち、主要都市圏に自宅があるか、または購入する計画があります。国民の約3分2は都市に住みでいます。車は、普通は最低1台はあり、1人1台持っている家庭も多いです。
女性が働くことは当たり前と考えられていて、福祉関係もしっかりしています。福祉がしっかりしているので、シングルマザーもとても多いです。
貿易
オーストラリアは、現在世界で20番目くらいの貿易国です。伝統的にオーストラリアは数多くの国から広範な商品やサービスを輸入し、その代金は主として農業生産物の輸出で賄ってきました。農産物の全輸出額に対する割合は低下してきましたが、それでも1990年の輸出収入のおよそ3分の2を占め、農産物は現在もなお主要な輸出品になっています。オーストラリアは多くの重要な第一次生産物の世界屈指の供給国です。特に石灰・羊毛・小麦・アルミナ・牛肉・鉄鉱石・砂糖が主要な輸出品目です。1980年代に金・アルミニウム・ガス・原油など新しい資源輸出の部門が開発されました。輸出の半分以上がアジア諸国向けで、中でも総輸出量の5分の1を受け入れている日本が、オーストラリアにとっての最大の輸出市場です。
国旗
オーストラリアの国旗はただ一種類です。小さなユニオンジャックは、英国との歴史的な結びつきを、その下の大きな七稜星は6つの州と準州や特別地域を、5つの小さな星は南半球の夜空のシンボル、南十字星を表しています。
国歌
オーストラリアの国歌は19世紀末の愛国的な歌「アドバンス・オーストラリア・フェア」に手を加えたものです。以前はオーストラリアの「国民歌」的存在でしたが、1984年4月、「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」が王室の歌になったかわりに、正式に国歌に制定されました。非公式な国歌として「ワルティング・マチルダ」もよく歌われます。
国の色
オーストラリアは1984年、緑色と金色を国の色と定めました。国際スポーツ大会などで見られるユニフォームはすべて緑と金(どちらかというと黄色)です。
言語
オーストラリアの公用語は英語ですが、法律で定められたのではなく慣習によるものです。一部の口語体やスラングには独特の表現がありますが、“オーストラリア英語”は他の英語と大きな違いはありません。オーストラリアで生まれ育っていても、親、祖父祖母が移民という人がほとんどなため、2ヶ国語以上話せる人はとても多いです。
州・準州・特別地域
6つの州(ニュー・サウス・ウェールズ、ビクトリア、クィーンズランド、南オーストラリア、西オーストラリア、タスマニア)と、首都キャンベラの所在するオーストラリア首都特別地域および北部準州があります。
